浄土真宗を開かれた親鸞聖人がお釈迦様の教えを「浄土を真(まこと)の宗(むね)」とすると受け取られた。つまり「浄土を本当のよりどころとする」という意味で、ご門徒が大切にされてきたのです。
浄土真宗の教義(おしえ)を一口で申しますと「本願を信じ念仏を申さば仏になる」(歎異抄第12章)ということです。阿弥陀様の本願を信じて念仏(南無阿弥陀仏)を称えれば必ず仏になる。親鸞聖人は信心をもって念仏を称えることで救われていくと説かれました。
これを「信心為本(しんじんいほん)」と言います。「信心」ということを非常に大事にされた教えなのです。
親鸞聖人は、師である法然上人との出遇いの中で「生死出ずべきみち」(生死の問題をのりこえる道)を「往生極楽のみち」(念仏の道)として見い出されました。
それは、人間として生きる意欲をなくしてしまった人や、生きる意味を喪失してしまった方に、生きることの真の意味を見い出すことのできる依り処を。
南無阿弥陀仏、すなわち本願念仏の道として見い出されたのです。
これは、人々にとって大いなる光(信心の智慧)となったのでした。そして同じようにその道を求め歩もうとする人々を親鸞聖人は「御同朋・御同行」として尊敬し共に歩まれていったのです。
親鸞聖人の有名な言葉に「悪人正機」ということがあります。悪人を救うことを目的とする本願の教えということです。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と歎異抄第3章に記されています。「善人でさえ往生して仏になれるのなら悪人はいうまでもない」という思想です。
一般的には「善人」と「悪人」の順序が逆ではないかと思われがちですが、その真の意味を理解するには「他力本願」の本質を理解する必要があります。
この他力本願とは、煩悩や悪にまみれた自力では往生できない人間を救おうとする阿弥陀様の本願にただひたすらすがって念仏することによって救われていくという思想です。
阿弥陀様が救おうとする人間を「悪人」と表現しているのです。つまり人間はそれほどに罪深い存在なのだとも言えます。
だからこそ、そういう人こそ救われなければならないという。
つまり分かり易く言いますと、「あまり苦しんでいない者(善人)でも救われるのだから、いま本当に苦しんでいる者(悪人)はなおさら救われるべきだ」ということです。
このような絶対他力という思想のもと、私たちの生き方の有り様を問い尋ねるために、親鸞聖人が顕かにされ、伝えてくださった本願念仏の教えを聞いていくことが大切なのです。
本 尊 阿弥陀如来
正依の経典 仏説無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経
宗 祖 親鸞聖人(1173~1262)
宗祖の著書 顕浄土真実教行証文類(教行信証)
宗 派 真宗大谷派
勤 行 集 正信偈(しょうしんげ)日々のお勤め
本 山 真宗本廟(東本願寺)
所 在 地 京都市下京区烏丸通七条上る